江戸時代の五街道のひとつ、日本橋からはじまる中山道の1番目の宿場が置かれたのが板橋です。平尾宿、中宿、上宿にわかれる宿並みは約1.7㎞あり、まさに街道沿いが発展した街です。板橋宿に隣接して加賀藩前田家の江戸下屋敷が広がっていました。現在も旧中山道沿いにはかつての宿場の様子を伝える名所旧跡が点在し、加賀藩前田家にちなんだ地名などが残っています。
日本橋から二里二十五町三十三間(約10.6㎞)。旧中山道の仲宿にあり、石神井川に架かる橋です。もとは大きな弧を描いた太鼓橋でしたが、現在はコンクリート造りの欄干に、木目が刻まれています。
板橋の近くにある榎で、男女の悪縁を切ることや断酒などが祈願されてきました。中山道を経由して朝廷から幕府に降嫁した和宮は、縁起が悪いため、この縁切榎を迂回して宿場に入ったといわれています。現在の榎は三代目。悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれるといわれ、幅広い信仰を集めています。
本陣とは参勤交代で通行した大名や公家などが休憩、宿泊した高級旅籠のこと。板橋宿では本陣飯田家の屋敷がその役割を担っていました。現在のスーパー「ライフ」が本陣のあった場所で、脇に本陣跡の碑が建っています。
上屋敷は現在の東京大学内にあり、赤門は加賀藩の門でした。板橋に置かれた下屋敷の敷地は約22万坪。広大な敷地の中には石神井川が流れ、築山や滝なども配されていました。主に前田家の別荘として使われ、狩猟や園遊会も行われたそうです。また、板橋宿に隣接していることから、参勤交代の休息や装束替えにも使われました。現在は加賀公園に築山の一部が残るのみですが、周辺には加賀1、2丁目や金沢橋、金沢小学校など、前田家にちなんだ地名、施設名が多く見られます。
入口の赤門は加賀藩下屋敷にあった屋敷御門のひとつとされています。参道に建つ庚申塔 には寛文元年(1661)の記銘があり、青面金剛像が彫られた庚申塔としては都内最古のものです。境内には加賀藩下屋敷からうつされたといわれる稲荷社が鎮座。正面欄間に左甚五郎作とも伝えられる龍の彫刻が見られます。明治6年(1873)、さびれゆく宿場に旧来の活気を取り戻そうと、成田山の不動尊を勧請して縁日を開きました。寺前の不動通り商店街の名前は、この不動尊に由来します。
旧中山道沿いにある唐破風造りの銭湯。都内では珍しい煙突も現役です。
東板橋公園にある小さな動物園。ポニーやヒツジをはじめ、モルモット、ヤギ、フラミンゴなどを飼育しています。毎日午前10時から11時20分と午後1時から3時20分までは動物たちとふれ合える時間。ヒツジやヤギは園内に放し飼いにされ、モルモットをだっこしたり、ポニーの乗馬を体験することもできます(雨天中止、モルモットのだっこは10時から11時30分と午後1時30分から3時30分)。GW中の5月5日(雨天の場合は翌日)には、午前10時30分からと午後2時30分からヒツジの毛刈りイベントも開催され、1年かけてモコモコになったヒツジがきれいに毛を刈られる様子を見ることができます。
旧板橋第三小学校の校舎3階にある、世界中の絵本を集めた全国でも珍しい図書館です。板橋区と交流があるイタリア・ボローニャ市で毎年春に開催される、ボローニャ児童図書展事務局から寄贈された絵本が蔵書の中心となっており、世界85カ国、約2万5000冊が揃っています。日本語版と外国語版が揃っている絵本もあり、子どもだけでなく語学や海外文化に関心のある人にもおすすめ。あえて言葉がまったくわからない国の絵本を見れば、絵だけで想像力を広げた幼い時代に戻れます。毎週土曜日の午前11時からは、「世界の絵本おはなし会」が催され、日本語での読み聞かせや、日本で出版されていない海外の絵本の紹介を行っています。
昭和40年代から50年代にかけて、駄菓子屋の店先にあったコインゲームを集めた博物館。オーナーの岸昭仁さんが会社員時代から収集したゲーム機のうち、40台あまりを展示して、実際に遊ぶことができます。10円玉をはじいてゴールの「博多」に向かう「新幹線ゲーム」や、すごろくの要領で全国制覇を目指す「国盗り合戦」など、30~40歳代の人にはたまらない懐かしいゲームがいっぱい。岸さんが所蔵するゲームは100台程度あり、ときどき入れ換えられるので、毎回違ったゲームを楽しめます。駄菓子も売っており、スマホのゲームに慣れた現代の子どもたちも大勢訪れています。