上野・不忍池の南西に位置する湯島は、江戸時代以前、海から見るこの地が島のように見えたことからこう名付けられたと言われています。湯島天神を中心に発展し、その西側の本郷は町屋として開けました。坂と路地からなる一帯には、明治から昭和にかけて活躍した多くの文人が住み、その足跡をたどることができます。
458年に天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建され、南北朝時代の正平10(1355)年に学問の神様・菅原道真を勧進して合祀。平成12(2000)年に湯島神社から湯島天満宮に改称されました。別名・湯島天神とも呼ばれています。江戸時代には徳川家をはじめ、多くの文人の崇敬を受けました。享保期には富くじの興業が盛んになり、江戸の三富のひとつとして、庶民に親しまれました。境内には銅製の鳥居(都指定文化財)や迷子探しの奇縁氷人石(区指定文化財)があり、泉鏡花作の「婦系図」の舞台としても知られています。また梅の名所としても有名です。
五千円札の肖像画で知られる樋口一葉は、明治23~26年に本郷の菊坂周辺に住んでいました。菊坂界隈には一葉が作家デビューした旧居跡や一葉の井戸、一葉ゆかりの店などのほか、石川啄木、金田一京助、宮沢賢治など文人の旧居跡などが点在。旧町名や文豪ゆかりの案内板があるので、坂や路地を巡りながら、文学散歩を楽しみましょう。
元禄4(1691)年に5代将軍綱吉の命により徳川幕府の祈願所として創建された真言宗の寺。伽藍が整い、学寮もあり土塀をめぐらした霊雲寺は、江戸時代の名刹として、その規模を誇っていました。関東大震災と第二次大戦で焼失し、本堂、総門、庫裏は昭和51(1976)年に再建。本堂には両部大日如来像2躯が安置されています。
約300年前の享保年間に創業した雑貨店。兼康祐悦という歯科医が売り出した歯磨き粉「乳香散」が大評判となったことから知られるようになりました。享保15(1730)年に湯島や本郷一帯が燃える大火があり、町奉行の大岡越前守は現在の本郷三丁目付近から南を、耐火のために土蔵造りや塗屋にすることを命じました。その結果、本郷までは瓦屋根、それより北は板や茅葺きの町家が並んだため、「本郷もかねやすまでは江戸の内」と言われるようになりました。
加賀藩主前田氏は、大坂の役後に現在の東京大学の赤門から池にかけての一帯を将軍家から賜りました。赤門は文政10(1827)年、加賀藩13代藩主・前田斉泰が11代将軍家斉の娘・溶姫を迎える際、当時の慣例にならい建てられた「旧加賀屋敷御守殿門」です。大棟には将軍家の「三つ葉葵」、軒丸瓦などには、前田家の「梅鉢」、大棟の鬼瓦には「學」の文様があります。
江戸時代から350年続く金魚と錦鯉の卸問屋。池や水槽には、縁日でお馴染みの金魚から1匹何万円もする「らんちゅう」まで様々な金魚が泳いでいます。親子で楽しめるつり堀もあるほか、週末は金魚すくいも人気です。併設の喫茶店は、本郷の隠れ家的カフェ。天井の高い客席は、かつて錦鯉を育てるための池を改築したもので、水槽が仕組まれたテーブルもあります。中国茶やコーヒーなどのほか、金魚すくい御膳3000円~(要予約)やビーフ黒カレー2000円などの食事も人気です。平日はランチ(11:30~14:30)もあります。
文京区の歴史と文化を展示するミュージアム。「台地」「坂」そして「水」をキーワードに、旧石器時代から近代までの人々の暮らしや文化を紹介しています。庶民が暮らした長屋の実物大模型では、双六や福笑いといった昔のおもちゃで遊ぶこともできます。コンピュータで文京区の史跡や坂道、文人などを調べることができるほか、本郷周辺の史跡地図も無料でもらえます。