都営バスの歴代
車両デザインと
特徴をご紹介
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- 1935(昭和10)年製 いすゞBX40
- 昭和6年に初めて国産バスが誕生し、都営バス(当時は東京市営バス)も40両を採用しました。(写真は少し後の昭和10年製)
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昭和10年
昭和23年
- 1948(昭和23)年製 民生産業KB3B
- 戦後は車両が大型化していきます。この車両は定員75名で2023年度導入のノンステップバスと同じ定員です。珍しい塗装をしており、深緑塗装(昭和27・29年写真)が登場するまではいくつかのパターンが存在していました。
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昭和25年
- 1950(昭和25)年製 いすゞBX95(帝国)
- ボンネットバス車内の様子です。当時は電車のように横向きのロングシートが一般的でした。
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昭和27年
- 1952(昭和27)年製 民生デイゼルBR344(富士重工)
- 現在のバスに繋がるリアエンジン車が普及していきます。この時代の後姿は、丸いデザインが特徴的です。
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昭和29年
- 1954(昭和29)年製 日野BD32(金沢産業)
- 1951年からこの深緑塗装が標準塗装となりました。この車両はエンジンが車体中央の床下搭載される特徴的な構造をしていました。エンジンが車両中央に載るタイプは非常に少数派で現在では採用されていません。
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昭和34年
- 1959(昭和34)年製 三菱R380(新三菱)
- 1959年からクリームに赤帯の塗装となりました。この頃はまだボンネットバスとリアエンジン車の両方が採用されていました。
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昭和36年
- 1961(昭和36)年製 日野BD35(帝国)
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以前は中扉のすぐ後ろには車掌台があり、車掌は運賃収受の時以外はここに立っていました。ワンマン化後も1980年代初頭製造のバス(昭和55・57年写真)まで車掌台は設置されていました。
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昭和43年
- 1968(昭和43)年製 三菱MR480(呉羽自工)
- 1968年から白と水色の塗装(通称美濃部カラー)となりました。この年代からはワンマン化を前提とした車両が導入されていきますが、このタイプの車両でも車掌が乗務することはありました。
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昭和44年
- 1969(昭和44)年製 日産ディーゼル4R104(北村)
- この車両のエンジンはディーゼルの2サイクル方式という他社にはない構造でした。小型で高出力という特性があったものの、排出ガスや騒音の対策が難しく、1973年までに生産を終了しました。
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昭和45年
- 1970(昭和45)年製 三菱MR410(呉羽自工)
- この時期の車両は後部の方向幕が小さく独特の形状でした。また、当時の車両はエンジンルームの冷却のための網状の開口部が現代の車両より多く開いていましたが、この車両は特に大きな開口部を持っていました。
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昭和55年
- 1980(昭和55)年製 いすゞK-CLM470V(川崎車体)
- 1980年に採用された黄色塗装の車両です。この色は都民に不評で、都営バスの色彩について大きな論争が起きることになり、僅か二年間だけの採用となりました。
車両設備としてはこの前年1979年から冷房装置付きで導入されていきました。
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昭和57年
- 1982(昭和57)年製 三菱K-MP107K(呉羽自工)
- 1982年から今に通じる黄緑色の塗装(通称ナックルカラー)に変更になりました。この車両は前面下部の視界を広げるため、オプションで設定されていた前面ガラスを通常の車両より低い位置まで広げた車両で、前面の吸気口も特徴的でした。また、ライト周りのデザインから、「ブルドッグ」の愛称で呼ばれています。
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昭和63年
- 1988(昭和63)年製 いすゞP-LV314K(IKコーチ)
- この時期に車両構造が大きく変わり各メーカーとも直線的なデザインになっていきます。特にこの車両は平面ガラスの組み合わせによるフロントデザインが特徴的で、「キュービック」の名称が付いていました。
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平成3年
- 1991(平成3)年製 日野HU2ML(日野車体)
- 1991年に都営バスと車両メーカーで共同開発したリフト付きワンステップバスが登場。車いす利用者の方が安全に乗車できるようになりました。リフトは中扉のステップに内蔵されていて、乗務員が扉の横のスイッチにより開閉・上下の操作を行いました。
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平成9年
- 1997(平成9)年製 日産ディーゼルUA460KAM(富士重工)
- 1997年に今では当たり前となったノンステップバスが登場。床が高いツーステップ車がまだ主流だった当時、わずか30㎝の前扉床面からステップを上がることなく車内に乗り込むことは新鮮な驚きでした。停車時はエアーサスペンションの空気を抜くことで床面をさらに5㎝程度下げることができ、バリアフリー化が格段に進化しました。