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車両ギャラリー

都営バス

都バス車両ギャラリーです。

フォードTT
大正13年 定員11人

大正11年、関東大震災により被害を受けた東京の交通を早急に復旧させるため、米国フォード社で大量生産され、牛乳の配達などに使われていたトラックを輸入し、バスに改造したもので、これが都バスの始まりです。
当時、円太郎という落語家がラッパを構えて高座にのぼり、馬車の御者の真似をして人気を博したことから、「円太郎バス」と呼ばれていました。

フォードTT

ウズレーCP
大正13年 定員24人

東京石川島造船所(いすゞ自動車の前身)が英国ウズレー自動車から製造権および東洋一手販売権を取得した車で、市バスとして採用された国産一号車です。

ウズレーCP

ガーフォードKB
昭和3年 定員24人

日本自動車(株)が英国ガーフォード社から本格的なバスシャシ(大型、低床)という唄い文句せ輸入した車です。
改造により大型化を図り、ラッシュ時には100~120人の乗客を運んだと言われています。

ガーフォードKB

LO型シボレー
昭和2年より

日本ゼネラルモーターズ株式会社は昭和2年2月に設立され、昭和2年4月大阪市で、シボレートラックを主として大量組立を開始して日本市場に進出したもので、市バスには昭和2年度に2両納入され、昭和3年度に60両が採用されました。

LO型シボレー

木炭車
昭和12年

昭和12年日華事変が勃発し、石油の輸入制限が厳しくなりました。市営バスでは、同年秋頃からガソリンの入手が困難になることを見越し、代用燃料車として木炭自動車の採用を研究していました。
昭和13年になると、バスに対するガソリン配給割当は激減し、木炭自動車を本格的に採用せざらるを得なくなりました。

木炭車

GMC普通型
昭和22年(1947) 定員40人

昭和21年、米国進駐軍は、大都市の公共交通輸送力の速やかな復旧を図るため、中古軍用トラックを払い下げることにしました。
東京都はGMCトラック400両の払い下げを受け、改造してバスの運行を行いました。

GMC普通型

いすゞTX80
昭和24年(1949) 定員57人

昭和23年~24年のバス(ガソリン車)は、いすゞとニッサン車でした。乗客収容増加の利点を活かし、キャブオーバー型の車両になっています。

いすゞTX80

親子バス(GMC)
昭和22年(1947) 定員38+38人

GMC改造車は、エンジン出力に余裕があったので、遊休バスを牽引させ、親子バスとして交通地獄解消一助としました。連結バスは日本で始めての取り組みでした。

親子バス(GMC)

いすゞBX91
昭和23年(1948) 定員55人

このボンネット型バスは、都バスの本格的ディーゼルバスの草分けで、以後、ディーゼルバスが大量に普及しました。
乗降口には「ドアー」がなく、鎖などで転落防止を図っていました。

いすゞBX91

日野T26
昭和24年(1949) 定員96人

戦後の急激な人口増加と、復旧が困難な鉄道・軌道の輸送力不足を補うために造られたトレーラーバスで、長距離系統の大量輸送を行いました。金剛トレーラーバス(10両)とともに31両で活躍しました。都バスの乗降口「ドアー」が取り付けられたのは、この頃からです。

日野T26

富士TR014X-2
昭和24年(1949) 定員59人

富士号の名で呼ばれた、日本におけるリアエンジンバスの元祖であり、フレームレス、モノコックボディーの元祖の車です。

富士TR014X-2

いすゞBX552
昭和34年(1959) 定員62人

都バス最後のボンネットバスで、昭和43年頃まで活躍しました。全国の大都市ボンネットバスの退役は、ほぼこの時期に集中しています。

いすゞBX552

日野RB10
昭和38年(1963) 定員77人

都営バスでは、昭和40年2月にワンマン運行を開始しましたが、これに先立って昭和38年にワンマン仕様の車両が14両試作されました。
当時は、ワンバスに関する構造上の規格も確立されていなかったため、乗客の安全とサービス確保に重点をおいて、関係機関と協議のうえ試作した車両です。
この後制定された「ワンマンバス構造規格」の骨子になりました。

日野RB10

ハイブリッドバス いすゞEHCK480
昭和47年(1972)定員80人

光化学スモッグの主原因と見なされているNOxの削減を目的として、昭和47年11月より試験運行を行いました。このバスは、大型ディーゼルエンジンの代わり、発電用の小型ディーゼルエンジンと蓄電池(420V)で電動機に電力を供給して走行し、低負荷走行時に発電機の余剰出力を蓄電池に充電する方式になっていました。
発電用エンジン騒音が高いことや電池・動力費が割高であることなどの理由により、昭和53年3月に試験運行を終了しました。

ハイブリッドバス いすゞEHCK480

ミニバス トヨタK-BB11
昭和55年(1980)定員20人

昭和48年2月より都心における業務交通の吸収、車両の小型化と頻発運行による定時制の確保など、大都市の路線バスのあり方を検討する目的で、トヨタ自動車の協力を得て、東京駅北口~新橋駅間の運行を行いました。※昭和58に廃止

ミニバス トヨタK-BB11

都市新バス

昭和59年3月に、公共輸送機関としてのバスの復権を目指して、都市新バスシステム第一号の都01系統の運行を開始しました。
都市新バスシステムは、停留所で待っているお客様にバスの接近を知らせるバスロケーションシステムのほか、グレードアップした車両を投入しました。
現在、8系統が運行しています。

新都市バス

ハイブリッド・ノンステップバス

平成19年10月から運行を開始したハイブリッド・ノンステップバスは、導入時の最新の排出ガス規制に適合し、軽量化されたバッテリー等を屋根に設置することで、ノンステップ化を実現しました。モーターによりエンジンの駆動力を補助して排出ガスを抑制し、CO2の低減に寄与しています。平成22年9月には、ポスト新長期規制に適合したハイブリッド・ノンステップバスの運行を開始しました。

ハイブリッド・ノンステップバス

燃料電池バス

燃料電池バスは、燃料となる水素と酸素を化学反応させて作った電気により、モーターを駆動させ、走行するバスで、走行時には水しか排出しない環境に優れたバスです。都営バスでは燃料電池バスの導入に向け、平成27年7月に走行実証実験を行い、平成28年度に2両を導入しました。また、平成29年3月21日から、市販車では日本初となる営業運行を開始し、令和5年4月1日現在73両を保有しています。

燃料電池バス

フルフラットバス

フルフラットバスは、超高齢社会の到来を見据え、より一層のバリアフリーを追求するため、車内の通路後方にある段差を解消し、誰もが車内後方まで移動しやすくしたバスです。日本で初めて導入し、平成30年12月に営業運行を開始しました。

フルフラットバス

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