
東京に残る唯一の都電「都電荒川線」。その最古参の車両「7000形」が、ついに引退を迎えました。人々を乗せて休まず走り続けること、なんと63年間。往年の名車両に、感謝の気持ちを捧げます。
後編都電7000形の活躍をふり返る

数多くの人々に親しまれながら、2017年の6月をもって運転を終了した都電7000形(正式名称:東京都交通局7000形電車)。そのデザインを都営バスにラッピングした「さよなら都電7000形記念バス」のお披露目の会で、元都電運転手の高橋撰年(のぶとし)さんは、かつての思い出をこう語ります。
「先輩運転手との実習を経て、運転手になったのが1946(昭和21)年冬のこと。戦後初の新造車両は6000形でしたが、新しい車両は先輩運転手が乗る習わし。古い車両の中でもとくに400形は戦前の車両で、小さいのでいつも満員でした。勾配のきつい白山の坂をブレーキの効きを確かめながら慎重に下ったり、雨の日はワイパーがないので新聞紙で窓を拭きながら走ったり......。車両ごとにクセがあるので、それを体で覚える必要もありましたね」。
当時、東京は戦後の復興の真っただ中。高橋さんが勤務する三田営業所の都電1系統は仕事を求めて東京港へ向かう人々でごった返していました。

そんな中、1954(昭和29)年の7000形の登場は、高橋さんにとっても印象深い出来事でした。
「7000形はブレーキがよく効いて、安心感がありました。自動車が行き交う中を走るわけですから、これは大きなことでした。それに、7000形はライトも明るい。当時の夜の町はいまと比べて本当に暗かったので、前がとても見やすくなった。加えて嬉しかったのは、7020号車で初めて運転台に椅子が付いたこと。運転もだいぶ楽になりましたね」。
数々の画期的な性能を誇り、時代とともに進化を遂げながら、60年以上にわたって走り続けてきた7000形。その最後の車両を前にして高橋さんは、「長い間、おつかれさまでした」と声をかけました。当時の塗装をラッピングした記念バスについても、「こうやって、たくさんの方に7000形のことを思い返してほしいですね」。
その言葉どおり、記念バスは3月24〜26日の3日間、かつて高橋さんが勤務した都電1系統のうち銀座ー日本橋間を特別運行。車内では7000形の秘蔵写真などが展示され、「チンチン!」という電鈴(案内ベル)の音や「都電の香り」のアロマが再現されたほか、Web上でもマスコンやつり革の部品など、7000形の備品を使ったメモリアルグッズの予約販売が行われました。
都電の歴史を象徴する名車両、7000形。その姿はこれからも、人々の記憶の中で走り続けていくことでしょう。


(右)高橋さんが現役時代に使っていた手帳や勤務時間表。「お客様のため、そして大切な車両のために」安全で正確な運行を心がけていた日々が甦る


- 文/深沢慶太