連載 想い出のキップと東京風景
写真: 第5回 使用済キップの回想

ICカードが登場してから、なくなりつつある紙の切符。小学生の頃から電車に興味をもち、切符をコレクションしていたというコラムニスト・泉麻人さんが語る、切符の想い出とは。秘蔵の切符コレクションとともに、ありし日の東京が浮かび上がります。

第5回使用済キップの回想

使用済キップ
  • 文/泉麻人

 高齢の母が引っ越しすることになって、部屋の整理を手伝っているときに、菓子の空きカンから昔集めていたキップがごっそりと見つかった。以前紹介した記念乗車券の類はきちんとストックブックに収容していたのだが、今回出てきたのは通常のキップで、その多くは改札係のパンチが入った使用済のもの。いまはけっこうシビアーになったけれど、ひと昔前はお願いすると使ったキップをそのままくれる改札の人もいた。
 なかに都営地下鉄のものが5枚ほどあった。日付を見ると、昭和44年(7月)から45年(4月)にかけてのものだから、僕は中学1〜2年生の時期になる。この時期、山手線などの首都圏の国鉄(現・JR)キップはペラっとした薄紙が主流になりつつあったが、これら都営の5枚はすべてカチッとした硬券なのがうれしい(いや、貴重な硬券だからこそ取りおいていたのかもしれない)。
 淡い黄の地に都営交通の地紋をちりばめたなかなか美しい硬券。刷りこまれた駅名を眺めるだけで当時の思い出がぼんやりと浮かびあがる。
 三田から東銀座方面へ行くキップが見られるが、三田は通っていた中学校の最寄り駅で、これはちょっとマセた友人たちに連れられて学校帰りに銀座に寄り道したときのものだろう。ラジオの深夜放送の影響で洋楽のポップスやフォークロックを聴くようになった頃だから、山野楽器のレコード売場でそういったジャンルのレコードアルバムやシングル盤を物色するのがおきまりだった。そして、向かいの三越デパートの一角にできたばかりのマクドナルド(日本1号店)でハンバーガーやマックシェイクを立ち食いする。いわば"銀ぶらデビュー"の頃の光景が甦るキップといえる。
 以前、開通記念乗車券を取りあげた6号線の巣鴨と志村(現・高島平)間の硬券もある。そのとき、開通初日(昭和43年12月27日)に志村まで乗った......と書いたはずだが、このキップを見てハッと思った。終点の志村まで乗って、団地建設以前の広大なサラ地を眺めたのはこの44年の7月31日だったかもしれない。

 ところで、もう一つ気づいたのは志村からの帰りのキップ。「小」と入っているのは小人(こども)料金で乗ったということだろう。僕は当時中1でも4月8日生まれだから13歳。正確には違反なのだ。ま、3〜4ヶ月のごまかしだし、もう時効ですよね?

  • 泉麻人(いずみ・あさと)

    1956年、東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を数多く手掛ける。近著に『僕とニュー・ミュージックの時代』(シンコーミュージック)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)、『東京いい道、しぶい道』(中公新書ラクレ)がある。

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